2019年03月


一浪時代の続き


○二浪時代


なんだかんだで二浪することになった俺は、

河合塾の学費免除がなんか二浪目だと削られるらしいのと、同じ予備校だと飽きそうなのと、駿台が免除いっぱいくれてたのと、駿台の担当が怖いおっさんじゃなくなっていたので、

駿台に通うことにした。


このときは、社会一般的な人が通るとされているレールを俺が脱線し始めていて、少数派になってることに全然気づいていなかった。

大学で多浪って全然会わない(笑)




まあそれはさておき、いろいろな活動に手を出しすぎたという一浪目の反省を生かし、二浪目には勉学にフォーカスを置くこととした。


一浪目はバイト掛け持ちしていたのだが、二浪目に至って早朝バイト一個以外を辞めた。

早朝バイトは、早起きして早朝バイト行ったあとそのまま予備校に行くという習慣が出来て良いと思ってたし、まあ金もなかったのでやめなかった。


一浪目にも予備校は行って殆どの授業を受けていたものの、自習とかはあまりしていなかったが、この時からきちんと自習するようになり、秋からはちゃんと授業の予習とかもするようになった。それまではしてなかった。(笑)



二浪目は、東大クラスにいい感じに仲良くなった人も多かった。

一浪時に学んだ某第二外国語を学んだことや、その言語が話されている某ヨーロッパの国に自費で一人旅した話でイキり散らそうとしたら、
その某ヨーロッパの国からの帰国子女で、親はアフガンでの拉致された経験がある国連の職員で、新幹線で駿台に通っていたやつが東大クラスにいて、完全敗北したこともあった。


なんで東大落ちたのっていう英強とか、冠模試でも超上位のやつとかいたりした。


そんなこんなで、強えやつがたくさんいてワクワクしながら二浪目のクラスを過ごした。


いままでそんな人々と交流することはなかったが、こういう人たちと仲良くなれたことは良い財産だと思う。
今でも定期的にあう友人も出来た。

それなりにこのクラスの東大の合格率は良かったと思う。正確には覚えてないけど。



彼女とは週一で会うくらいで、良い精神安定剤というか、モチベ管理というか、そういう存在だった。二月くらいにいろいろあって俺から別れを切り出すまで付き合った。

一浪目の記事にも書いたが、俺が2年も浪人できたのはその当時の彼女のおかげだし、非常に感謝している。






まあなんかそんなこんなの生活の成果があったのか、夏も秋も、実戦やオープンでA判定を叩き出し、文科三類の順位表にも名前が乗るようになった。



センターは789くらいで別にそんなに良くなかったが、二次が結構できていたので、受かる確率は十分にあったと思う。


今まで東大専願だったが、今年はそうもいかんということで、中央と某早慶を一学部ずつ受けることにした。
あまりmarchの大学がどう違うとかその時は知らなかったので、なんか予備校の担任に言われて中央を選んだ。

中央にはセンター利用で出して受かったが、私立の学費振込の関係で、結局中央の一般入試も受けるになった。
中央のセンター利用の入学金振込期限が、某早慶の俺が受けた学部の合格発表より前で、入学金がもったいないからだ。
もちろん受かった。



センター後は東大の二次に集中していたので、某早慶は対策ができず、入試前日に赤本買ってちらっと読んだだけだったが受かった。
今思えば対策しておいてもよかったと思う。たぶんそんなに余裕で受かったわけではなさそう。東大と傾向が違うし。東大より某早慶のほうが合格の自信はなかった。でも受かって良かった。



そんなこんなで東大二次本番を迎えた。


国語は普通通りまあまあ取れた。
数学は3完1半した。この時点でだいぶ合格に自信が出た。
日本史はそこそことれ、世界史もまあまあとれた。
ここまでは、不合格は考えもしなかった。

英語でわりとミスをした。一番悪化したのはリスニングだった。この年は例年よりリスニングの選択肢が増え、難化した年だった。普段は22は最低でもとれ、24と26もいっていたが、この年の本番では12か14かそんくらいしか取れなかったと思う。
もはやあまり覚えていないが、それ以外にもいつもより悪かった大問があった気がする。

英語を受けたあと初めて、もしかしたらヤバイかも、と思いだした。



しかも、3完していたと思っていた数学では、自己採点で、全部計算ミスをしていて、実は全半であることが判明した。
解き方とか論理は大体あっていたのに。まさかの結果だった。
ここでさらに焦り出した。


それでも自己採点ではギリギリボーダーだった。この年は難化したので合格最低点が下がるという噂があり、それにすがった。



合格発表の日、下宿先を見るためにわざわざ親と東京に来た。
なんか不動産屋は東大に出張しているとかで、下見した下北沢に不動産屋がいなかったので、下北沢のルノアールかどっかのカフェで時間を潰しているときに合否を見た。

不合格だった。




まさか東大に自分が落ちるとは思わなかった。
開示を見た。あと3点ちょいだった。

リスニングでいつも通り取れていれば、数学で計算ミスをしなければ、普通に受かっていたはずだった。でもそうはならなかった。

冠模試でA判定だった、冊子に名前が載った、そんなことは結局自分の合格を確実に保証するものでは無い、という当たり前の事実を認識していなかった。
もちろん、そういう判定が出てもきちんと勉強はしていたが、やはり慢心してツメが甘くなっていたんだと思う。


東大受かる浪人生は、一般的に、現役の頃こういう経験をして、反省して浪人に臨むから受かるのかもしれない。自分は二浪してからしかこういう慢心に気づけなかった。


開示は、

国語 60後半
数学 40半ば
日本史 40
世界史 30半ば
英語 60半ば

だったと思う。

記憶が曖昧なのでまちがってたら申し訳ない。


家の財政状況がいろいろあって二浪目中にある程度改善したのと、後期の北大より某早慶のほうが親や親戚に指示を受けていたのとで、某早慶に進学することとした。


三浪目(仮面浪人編)につづく

(なぜ仮面したか、とかそこで述べる)




○一浪時代

当然のように東大に落ちた俺は、駿台と河合塾を見て回り、

駿台の方が怖そうなおっさんが相談を担当していた一方で、
俺の地元の河合塾は校舎が駿台より綺麗だし、可愛いチューターが多かったので、

当然のように俺は河合塾を選んだ。



それまで、周りに東大志望のやつがそんなにいない環境に居たので、
東大志望だけが集まるクラスに所属し、東大合格者をたくさん送り出してきた名物講師の話を聞く機会ができたのは貴重な経験だった。

こうしたなかで、「どうやったら東大に受かるか」というビジョンがおぼろげながら見えてきたような気がする。
東大合格者がほぼいない田舎高校では、そもそも東大がどのレベルで、どれくらいの勉強が必要なのかがわからない。
とはいえ、まあ結局落ちたのだが……


実はこのころ、受験以外にもアクティビティを始めていた。
まず、バイトをした。実家に金があまりなかったので、金を補填する必要があった。
早朝バイトを平日毎日入れて、朝5時に起きて6〜8時まで2時間バイトし、掛け持ちでさらに学校後に別のバイトをした。

まあこう見ると苦学生な感じに見えるが、実は、金がないとはいえ、そこまでバイトをする必要はなかった。少なくとも掛け持ちは必要なかった。
こうして、補填する必要がある金以上に稼いだために余ったお金は、本を買ったり、服を買ったり、彼女関係に使ったり、海外旅行(後述)に使ったりした。

潜っていた某大学(後述)の生協で、生協会員のみ本が20〜30%オフのイベントがあった時には、潜った授業で俺と友達になった、生協に加入していた人を使って、9万円分くらいの本を7万円ちょいで購入するなどしていた。
これを含めて、本を買うのには1浪時通算で15万円くらい使っている気がする。

服にも一ヶ月で1〜3万くらい使っていたと思う。これは大学で役立った。


また、説明が難しい関係なのだが、バイト先の直接ではないつながりで彼女ができ、毎週遊びまくっていた。
その当時出来た彼女は俺と同じ歳で、そのときは大学一年生だった。

俺の精神安定に多大なる寄与をしてくれていたのは彼女の多大なる功績であると思う。この子とは、1〜2浪時をほぼ通して付き合ったが、二浪も出来たのは、明らかに彼女のおかげである。
そんなに激しい性格じゃなくて、揉め事もあまり起こらず、浪人生の俺を肯定しまくってくれた。無条件に全肯定してくれる存在がいるのは大きい。
三浪目の記事に詳しく書くが、三浪目(仮面浪人)の失敗の一つは、彼女がいなかったことだと思う。だからこのブログのタイトルに「彼女を作る」が含まれているのだが。

とはいえ、二浪めには2人の関係もわりと落ち着いて、彼女に割く時間もお金もコントロールできるようになっていたものの、
一浪時の初期は彼女に時間的にも金銭的にもリソースを割いていたとことは、反省点の一つにあがる。


加えて、7月くらいまではバイト仲間とも遊んでいるなどもして時間を食った。



さらに、高校時代仲の良かった友人が多く通っていた、そこそこ知名度はないことはない某大学の授業に潜って、とある第二外国語を学ぶなどもしていた。
その第二外国語の勉強にハマり、検定試験で三級を11月にとった。

また、その授業を教えていた某先生と仲良くなり、フェイスブック友達になったり、その先生のアドバイスの元、海外旅行することにしたりした(親には許された)。

(ちなみに、俺が今通っており、この先生の出身でもある某早慶の俺が通っている学部において、その先生の父が今は引退しているものの教授であり、結構偉い立場にいて、ドンとしてかつて暗躍していたらしく、その教え子とかが今俺の学部で先生をしていることもあって、
このコネ?は割と今の生活に役立ってはいる)



こういうわけで、俺はあまり受験勉強をしていなかった。

そんななかでも授業はほぼ行っていた気がするが、でも予習はマチマチにしかしていないなど、「勉強をしている」とは胸を張って言えない状況だった。現役よりは明らかしていなかった。



しかし、何故か模試の成績はまあまあよかった。現役よりは上がっていた。
河合のOPが夏秋CCで、駿台の夏がAだったかな?
駿台の秋は申し込んだけど寝坊したとかそんなクズ具合だったと思う。せっかく自分で稼いだ金で申し込んだのになあ……

A判定とか出てたが、単純に浪人だと良い成績が出やすいとか、偶然よかっただけで、本当の実力を表しているわけではない、と今では思う。
冠模試と東大本試って、全然違うとはよく言われるが、それなりに過去問研究した今は同感である。問題の質もだが、特に採点の精度が全く違う。

しかし、模試の結果が良かった(とはいうものの現役よりマシなだけでそれほど良いわけではないが)ため、
勉強していないにもかかわらず、何故だが「うかる」という自信があった。

数々の東大不合格ブログを読んできた今だから言えるが、ダメ浪人生の典型である。


さらに、センター試験も、何故か現役時より上がっていて、750点代だった。
本来この点数だと、東大受験を諦めて他の大学に出すのも考え始める点数だが、謎の受かる自信はあったし、現役より上がってるし、二浪まで許されていたので、東大に出した。
今年も私立は一個も受けず、東大専願である。


東大入試本番後、入試を受けたその足でそのまま羽田空港から前述した海外旅行に飛び立ち、
現地の子供達とサッカーをしたり、襲われそうになって逃走したり、うざいやつに絡まれて岩砂漠の中2時間くらい彷徨う羽目になりながらも、
ヨーロッパ二カ国と、アフリカ一カ国を周遊していた俺は、
2017年3月10日、某ヨーロッパの大国の首都のホテルで、東京大学文科三類に落ちたことを知った。


当然の結果である。

しかも現役より二次の点数は下がっていた。

国語 60代(去年よりあがったはず)
数学 10代(ゴミ)
日本史 20代(去年の得点は運だった)
世界史 30代
英語 50代後半か60代?


とかだった気がする。

ランクはDランクとかだったかな?



当時の馬鹿な俺なりに、「浪人したのだから、浪人したことで得られる経験をしよう」と思って、色々なアクティビティに手を出した。
良い経験にはなった。
それに、非常に楽しかった。大学生活より全然浪人の時の方が楽しかった。
でも志望校に受からなければ意味はない。



浪人するかどうか迷ってる人に伝えたいのだが、一浪は良い経験になるし、むしろしていいと思うけど、
二浪以上は余計なので、一浪で受かるよう努力すべきである。


まあ、一浪時に無茶した経験がなければ今の自分は絶対存在しないし、
二浪時は二浪時でそれなりに学んだことはたくさんあったのだが……





二浪目編に続く




俺の四年分の不合格体験記をここに記します。




電子の砂漠を何故か彷徨った、未来ある高校生や浪人生のみなさまには、こうなってはならないという戒めとして参考にしていただくことを願っています。





○現役

俺は地方公立(自称)進学校の生徒だった。

地元の旧帝国大学に生徒を送り込むことに躍起になっていたここでは、東大を受ける人はほとんどいなかった。受かっても学年トップ何位の人々1〜2人とかである。

そんな高校で、俺は高2のころ、うん百人中、下から何十番とかだった。つまりアホ。

マイナースポーツながら、全国大会に行ったり行かなかったり、そこそこ強いようなそうでもないような部活に所属していた俺は、高2までは勉強を特にせず部活に打ち込んでいた。

まあ仮にも部活で全国目指していた俺は、いよいよ近づく受験勉強に際して、受験でも全国の猛者たちを破って、中学校のころから微妙に憧れていたような気がする東大に受かろうと決めた。
ような気がする。ごめんあまり覚えてない(笑)
なんか頭いい感じのやつが俺を馬鹿にしてくる態度がムカつくとかいう、今思えばどうでも良いもあった気がするが……(笑)


まあ、世間的に見たらそこそこ頭のいい高校だが、東大受験を考えるとなると全然頭の良くない高校において、アホの部類に属していた俺は、
当然のことながら、東大受験など他人に笑われる存在であった。


俺が三浪しても受からなかったことを知っている読者諸氏におかれましても、馬鹿して嗤うのも当然のことではあるが(笑)、
二浪目にはそこそこ良い線行ったり、受験したことで得たものがあったりするので、
我慢して読んでいただきたい。


ほんでもって、そういうのを見返してやろうと、高3になる直前の3月から勉強をしたところ、意外にも、4月の校内模試で、数百人ごぼう抜きし、上から数十番とかになった。
まあ、この学校だとこの順位でも東大合格には足りないし、また、この時期はみんな勉強していないので勉強して追い抜くのは簡単だったりするのだが。


そのころ、東大志望について、担任の先生と親に相談したら、意外と受験を許可してくれた。親によると、努力をして、今はまだ足りないながらもそれなりに成果を出してるから良い、ということだった。しかも、二浪までなら許すと言ってくれた。
寛容な親には今も感謝している。


当時、地方公立ゆえに東大受験について右も左もわからなかった俺は、
和田秀樹の『新受験技法』という神バイブルをもとに計画を立て、その調子で五月くらいまでイケイケで勉強していた。
この本がなければ今の俺は存在しないだろう。
地方東大受験生は是非読むべし。

ところがどっこい、部活の引退試合とそれに向けての練習や、学園祭の準備とかぶるあたりでいそがしくなり、勉強計画が崩れだす。
勉強計画が崩れだすと、取り戻すことのできない遅れを取り戻すとして失敗し、勉強効率が下がる。


そんなこんなで3〜4月期の勉強効率を取り戻せないまま、夏を迎え東大模試を迎えるも、
初めてのD判定をだして(喜びで)大騒ぎしたり、お高くとまっていた某予備校東大コースに所属していたやつを東大模試の点数において打ち破ったりして、調子に乗っていた。

秋もそれなりには勉強していたものの、勉強効率は下がり、
冬には、当時始まったばかりの「星のドラゴンクエスト」に全力でどハマりしてあまり勉強しなくなった。

センターは730点で、まあギリ文3の足切りを通過した。
今思うと、この点数だとその後三年間文3の足切りを通過できないし、そもそもこれじゃ足切り通っても東大受からない確率が高いのでヒヤヒヤするところだと思うが、俺は当時呑気だった。
浪人を見越し、私立は受けず、東大専願であった。


東大二次を迎えた俺は、当然のように不合格を喰らった。

最低点まで30点差とかでCランクだったかな?

国語60代
数学30代
日本史40代
世界史30代
英語50代

とかだったように思う。

あまり正確には覚えてないから整合性取れてなかったらごめん。


ゴミだった数学で何故か閃いて1完したのと、試験前日パラパラ読んだ『考える日本史論述』に乗ってた問題の類題が本番の日本史になんと2問(!?)も出て日本史がインフレしているが、
ここらへんは本来の実力ではないので、たぶん本当はもっとゴミ実力だと思う。



夏の東大模試で俺が勝利した、「お高くとまっていた某予備校東大コースに所属していたやつ」は、普通に現役合格していた。

俺は夏D判定だったので、彼女はたぶん夏にE判定かD判定だったんじゃないかと思うが、現役合格できているので、
同じような状況の現役生は頑張って欲しいし、
あんなしょーもないことで喜んでいた馬鹿な現役時代の俺のようにはならないで欲しい。




につづく。









2019年、東京大学入学試験において、文科一類不合格でした。

開示が来てから反省とまとめて記事を上げようと思ったのですが、何故かなかなか開示が送られてこないので、先に書くことにしました。


というか、レビューは以前結構書いていたので、それを付け足すだけだったりします。






★2019年度の東京大学入試問題(文系)を受けたレビュー


自己採点は予備校の解答みて結構適当に予想してます。


○国語
自己採点…70点

現代文・古文・漢文どれも簡単すぎる。四年(笑)受けていたが、今までで一番簡単だったと思う。古文も江戸期のとっつきやすい文だし、漢文も難しくはないし、現代文も1も4も言いたいことが明快であったように思う。
「なんじゃこりゃわかんねえな」というものはなかった。だが他の受験生もそれは同じだろうから、差はつかないだろう。
ただ、この教科は、易化して書けたからといって点数はインフレしないのでせいぜいとれて70点というところだろう。60点代後半が妥当というとこ、。
ちなみに今まで3年間は、俺の国語の点数は60点代の中で年々増加していた。

どうでもいいが、二浪時代に読んだ、井上進の『顧炎武(中国歴史人物選)』(白帝社)で、明末における簡単にいうならば学生運動的なものとか、学制に関する紛糾とかの話で、記憶が曖昧なのなのだが、黄宗羲か、黄宗羲のお父さんかなんかが出てきていたのだが、
そこらへんもこの漢文の背景に関係あるのだろうな、と思った。
だからといって、そんな知識を盛り込むことは要求されていないし、むしろそんなことをすれば減点されかねないので、別にそれで答案が変わったわけではない。
しかし東大は時事ネタ好きだなあ。特に時事ネタは世界史の大問1と日本史の大問4と英語で出てくることが多い気がする。





○数学
自己採点…30点

戦犯科目その1

東大はベクトルをあまり出さないため、勉強履歴をご覧になればおわかりになると思うが、センター以後ベクトルをほとんど触れないで勉強してきた。
今年ベクトルが二題出た。問題用紙開いた瞬間にやけてしまった。(笑)

やはり去年、あまり問題の根幹には関わってこないとはいえ、ベクトルが出た時点で警戒しておくべきだったんだろうなー
いや、警戒はしてて、勉強するつもりではいたんだが、結局そこまで手が回らなかったんだよなー
一応二浪目に大数もやってたんだけど、全然身に付いてなかった。

座標は完答する予定だったんだけどなー
あの単元自体がベクトルと密接な関係ではあるから当然ではあるな。
結局付け焼き刃の勉強だとこういうことがおきるんだな。

例年ほぼ出題されていた、(数2Bまでの)微積単体の問題は時間をかければ確実に完答できるレベルには仕上げていた。しかし、残念ながら今年は出なかった。微積自体は2で使うが。


結局、大問1と大問3を仕上げて、他のベクトルが出てたやつは本当に最初らへんのわかるところだけを書いて終わった。

1日目終わった後、一応2完2半はしたということにしていた。本当は大問1の(2)は詰めが甘いとわかっていたし、大問3の確率の最後も計算ミスをしている可能性はあると思っていた。メンタルケアのために50点はとれた!と思い込もうとしたが、でもかなり動揺はしていた。

実際大問1の(2)は議論が全然足りなかったし、大問3の最後はミスっていた。
大問1の(1)、あの簡単な問題で計算ミスを連発し、それを修正するために(2)を解く十分な時間がなかった。
大問3も最後は結構ややこしかったので、ミスの可能性はあったが、出てきた数が綺麗であったのと、ほかに割く時間が欲しかったので確認はしなかった。


去年も全半(笑)で確か40点半ばとかだった。今回も全半だが、去年とは質が違う。
去年は、ほぼ解き方も論証もだいたい完全に示しており、体感では3完1半出来ていた上で、完答していると思っていた全ての大問で計算ミスをしており、全半になっただけだった。だからこそ、論証重視の東大はそこそこは点数はくれた。
今年は、解き方はまあまあだったのは大問3くらいなもので、大問1の論証自体が不完全だし、他は手も足も出ないが頭突きはしてみたくらいなものだ。せいぜい30点が限界だろう。
この時点で東大合格はほぼ難しいと言わざるを得ない。点数を稼ぐべき数学でこれでは。




○地歴
自己採点…日本史40点半ば、世界史40点前後

1日目、数学を失敗したことを心の中で否定しようとしてできないながらも、「もしかしたら地歴や英語で爆発的にとれるかもしれない。今やったところが出るかもしれない。最後の最後まで結果はわからない」と思いながら勉強していた。
地歴は爆発的に取れた。はず。
最初に問題用紙を開いて日本史を見たとき、すべてある程度は方針がわかることにニヤけ、
世界史の第1問が平易であることに驚愕し、世界史第3問がだいたいわかることにガッツポーズであった。

まあ、もちろん虫のいい話というか、なんというか、何ヶ月も前からこうも運がいいことをあてに勉強するべきではないし、本来は三浪もしているなら余裕で合格まで持って行くのが当たり前だが、最後まで諦めない姿勢というのは本番直前の取り組み方としては間違ってはないだろう。まあ結果としては不合格だったが。


東大によって解答方針と出題意図が公表されるという、歴史的イベントが起きるらしいhttps://this.kiji.is/476650729568633953が、世界史大問3の(10)の出題意図が気になる。
あんなよくわからない細かい知識を聞いたのは何故なんだろう。東大生ならアメリカの州は全部知っておいてもいいんじゃね、という希望か?俺の知らない時事ネタにかんけいあるのかな?
いくら世界史で満点を与えたくなく、第1問と第2問が易化したから第3問を難しく(結果的にはそんなに難しくないが)しようとしたとはいえ、もっとやりようはあったはずだけど……

数英がとれないくせに、地歴では一丁前に語るというのは、底辺多浪の悪い癖である。







○英語
自己採点…60点後半

戦犯科目その2


はじめに解き始めた1aと4bが物凄く簡単だったので、「いけるんじゃね?」と途中まで思っていた。本当に甘かった。簡単な設問があれば難しい設問もあるものである。



まず2bの英訳に10分くらい使ってしまった。さらに、2Aにはリスニングの前後に合わせて15分も割いてしまった。本来は合わせて15分くらい、せめて20分で始末すべきだった。この皺寄せがほかの大問に来た。



去年痛い思いをしたリスニング、去年2問落とさずいつも通り20点とれていれば合格していたはずのリスニングは、この一年鍛えてきた箇所であるはずだった。毎日リスニング対策をしてきたし、今回の本番でも下読みには10分かけて理解した。
でもダメだった。

例年とは違って、スクリプトが公開されていないらしく、予備校の解答がないので、受験生の有志が力を合わせて作った解答と照らし合わせても14点くらいしかとれなかった。

なんかスクリプトが公開されないらしいのでここのレビューは詳細にしておく。ただ、東大による解答方針と出題意図の開示が行われる際に、スクリプトも公開されるかもしれないが。


まず、問題文にある単語とか表現が、素直に音声で読み上げられることは少なかった。だいたいなにかしらの換言が行われていたり、婉曲に表現されていたりした。

また、スピードだが、かなり速い。具体的に言うと、CNN ENGLISH EXPRESS の3.実践編のアンダーソンクーパーくらい速い。
もちろん全てが速いわけではない。

本番における東大リスニングの特徴だと思うのだが、「速いところはすごく速く、遅いところは遅い」のである。

今回、具体的には、3Aでいくと、最初に話す司会者の話すスピードが速く、その後の博士の話す部分はとてもとても遅かった(25ヶ年とかCNN EEのゆっくりスピードくらいかそれよりも遅いくらい)。
3Bと3Cの速さはもうあまり覚えていないが、少なくとも3Aの博士が話すところとか25ヶ年よりも格段に速かったと思う。たぶん、遅いところで時間を稼いでいるのだろう。

ちなみに、四年間本番のリスニングを受けた(笑)経験によれば、東大リスニングには、それまで遅かったのに答え付近の話になって急にまくし立てやがるやつが現れるとかの、人でも箇所によって速さが変わるとかもあるし、
2017年度(俺が一浪のとき)のように、3Aは全体的にかなりゆっくりだったのに、3Bや3Cになると速くなったりするという、設問ごとで速さが変わるパターンもある。

さらに、本番のリスニングでは、25ヶ年や模試より、流暢に英語が話される。具体的にいうと、連続した子音の脱落とか、破裂音が破裂しなかったりとか、母音の音が変化したりとか、口蓋化とか、そこらへんが起きる。あるいは、訛りが強いがゆえにそういった現象が起きると言えるかもしれない。
今回だと、3Aと3Bに出てきた司会者は酷かったと思う。


総じて、今回のリスニングはみんなにとっても難しかったようだが、でも取れている人はいた。結局、俺の能力と努力が足らないだけだったのだろう。



5の単語の穴埋めは、いつも通り全然あってなかった。いままで記述は結構あってなかったが、焦ったためか、問題の意図を取り間違い、単純に訳すだけで終わるなどアホなことをした。


それほど難しくない1bも満点をとるべきであったのに、結局記号は二つ落とした。最後に解いた4aには、4分くらいしか残っておらず、いつもあのタイプの問題には10分つかっていた俺の英語力では全然終わらなかった。



結局、英語はそれなりに時間を割いたし、去年よりはレベルアップを実感していたものの、点数としては大して上がらず、意味なき勉強に終わった。




○総評
は、別の記事にします…

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