一浪時代の続き


○二浪時代


なんだかんだで二浪することになった俺は、

河合塾の学費免除がなんか二浪目だと削られるらしいのと、同じ予備校だと飽きそうなのと、駿台が免除いっぱいくれてたのと、駿台の担当が怖いおっさんじゃなくなっていたので、

駿台に通うことにした。


このときは、社会一般的な人が通るとされているレールを俺が脱線し始めていて、少数派になってることに全然気づいていなかった。

大学で多浪って全然会わない(笑)




まあそれはさておき、いろいろな活動に手を出しすぎたという一浪目の反省を生かし、二浪目には勉学にフォーカスを置くこととした。


一浪目はバイト掛け持ちしていたのだが、二浪目に至って早朝バイト一個以外を辞めた。

早朝バイトは、早起きして早朝バイト行ったあとそのまま予備校に行くという習慣が出来て良いと思ってたし、まあ金もなかったのでやめなかった。


一浪目にも予備校は行って殆どの授業を受けていたものの、自習とかはあまりしていなかったが、この時からきちんと自習するようになり、秋からはちゃんと授業の予習とかもするようになった。それまではしてなかった。(笑)



二浪目は、東大クラスにいい感じに仲良くなった人も多かった。

一浪時に学んだ某第二外国語を学んだことや、その言語が話されている某ヨーロッパの国に自費で一人旅した話でイキり散らそうとしたら、
その某ヨーロッパの国からの帰国子女で、親はアフガンでの拉致された経験がある国連の職員で、新幹線で駿台に通っていたやつが東大クラスにいて、完全敗北したこともあった。


なんで東大落ちたのっていう英強とか、冠模試でも超上位のやつとかいたりした。


そんなこんなで、強えやつがたくさんいてワクワクしながら二浪目のクラスを過ごした。


いままでそんな人々と交流することはなかったが、こういう人たちと仲良くなれたことは良い財産だと思う。
今でも定期的にあう友人も出来た。

それなりにこのクラスの東大の合格率は良かったと思う。正確には覚えてないけど。



彼女とは週一で会うくらいで、良い精神安定剤というか、モチベ管理というか、そういう存在だった。二月くらいにいろいろあって俺から別れを切り出すまで付き合った。

一浪目の記事にも書いたが、俺が2年も浪人できたのはその当時の彼女のおかげだし、非常に感謝している。






まあなんかそんなこんなの生活の成果があったのか、夏も秋も、実戦やオープンでA判定を叩き出し、文科三類の順位表にも名前が乗るようになった。



センターは789くらいで別にそんなに良くなかったが、二次が結構できていたので、受かる確率は十分にあったと思う。


今まで東大専願だったが、今年はそうもいかんということで、中央と某早慶を一学部ずつ受けることにした。
あまりmarchの大学がどう違うとかその時は知らなかったので、なんか予備校の担任に言われて中央を選んだ。

中央にはセンター利用で出して受かったが、私立の学費振込の関係で、結局中央の一般入試も受けるになった。
中央のセンター利用の入学金振込期限が、某早慶の俺が受けた学部の合格発表より前で、入学金がもったいないからだ。
もちろん受かった。



センター後は東大の二次に集中していたので、某早慶は対策ができず、入試前日に赤本買ってちらっと読んだだけだったが受かった。
今思えば対策しておいてもよかったと思う。たぶんそんなに余裕で受かったわけではなさそう。東大と傾向が違うし。東大より某早慶のほうが合格の自信はなかった。でも受かって良かった。



そんなこんなで東大二次本番を迎えた。


国語は普通通りまあまあ取れた。
数学は3完1半した。この時点でだいぶ合格に自信が出た。
日本史はそこそことれ、世界史もまあまあとれた。
ここまでは、不合格は考えもしなかった。

英語でわりとミスをした。一番悪化したのはリスニングだった。この年は例年よりリスニングの選択肢が増え、難化した年だった。普段は22は最低でもとれ、24と26もいっていたが、この年の本番では12か14かそんくらいしか取れなかったと思う。
もはやあまり覚えていないが、それ以外にもいつもより悪かった大問があった気がする。

英語を受けたあと初めて、もしかしたらヤバイかも、と思いだした。



しかも、3完していたと思っていた数学では、自己採点で、全部計算ミスをしていて、実は全半であることが判明した。
解き方とか論理は大体あっていたのに。まさかの結果だった。
ここでさらに焦り出した。


それでも自己採点ではギリギリボーダーだった。この年は難化したので合格最低点が下がるという噂があり、それにすがった。



合格発表の日、下宿先を見るためにわざわざ親と東京に来た。
なんか不動産屋は東大に出張しているとかで、下見した下北沢に不動産屋がいなかったので、下北沢のルノアールかどっかのカフェで時間を潰しているときに合否を見た。

不合格だった。




まさか東大に自分が落ちるとは思わなかった。
開示を見た。あと3点ちょいだった。

リスニングでいつも通り取れていれば、数学で計算ミスをしなければ、普通に受かっていたはずだった。でもそうはならなかった。

冠模試でA判定だった、冊子に名前が載った、そんなことは結局自分の合格を確実に保証するものでは無い、という当たり前の事実を認識していなかった。
もちろん、そういう判定が出てもきちんと勉強はしていたが、やはり慢心してツメが甘くなっていたんだと思う。


東大受かる浪人生は、一般的に、現役の頃こういう経験をして、反省して浪人に臨むから受かるのかもしれない。自分は二浪してからしかこういう慢心に気づけなかった。


開示は、

国語 60後半
数学 40半ば
日本史 40
世界史 30半ば
英語 60半ば

だったと思う。

記憶が曖昧なのでまちがってたら申し訳ない。


家の財政状況がいろいろあって二浪目中にある程度改善したのと、後期の北大より某早慶のほうが親や親戚に指示を受けていたのとで、某早慶に進学することとした。


三浪目(仮面浪人編)につづく

(なぜ仮面したか、とかそこで述べる)