俺の四年分の不合格体験記をここに記します。




電子の砂漠を何故か彷徨った、未来ある高校生や浪人生のみなさまには、こうなってはならないという戒めとして参考にしていただくことを願っています。





○現役

俺は地方公立(自称)進学校の生徒だった。

地元の旧帝国大学に生徒を送り込むことに躍起になっていたここでは、東大を受ける人はほとんどいなかった。受かっても学年トップ何位の人々1〜2人とかである。

そんな高校で、俺は高2のころ、うん百人中、下から何十番とかだった。つまりアホ。

マイナースポーツながら、全国大会に行ったり行かなかったり、そこそこ強いようなそうでもないような部活に所属していた俺は、高2までは勉強を特にせず部活に打ち込んでいた。

まあ仮にも部活で全国目指していた俺は、いよいよ近づく受験勉強に際して、受験でも全国の猛者たちを破って、中学校のころから微妙に憧れていたような気がする東大に受かろうと決めた。
ような気がする。ごめんあまり覚えてない(笑)
なんか頭いい感じのやつが俺を馬鹿にしてくる態度がムカつくとかいう、今思えばどうでも良いもあった気がするが……(笑)


まあ、世間的に見たらそこそこ頭のいい高校だが、東大受験を考えるとなると全然頭の良くない高校において、アホの部類に属していた俺は、
当然のことながら、東大受験など他人に笑われる存在であった。


俺が三浪しても受からなかったことを知っている読者諸氏におかれましても、馬鹿して嗤うのも当然のことではあるが(笑)、
二浪目にはそこそこ良い線行ったり、受験したことで得たものがあったりするので、
我慢して読んでいただきたい。


ほんでもって、そういうのを見返してやろうと、高3になる直前の3月から勉強をしたところ、意外にも、4月の校内模試で、数百人ごぼう抜きし、上から数十番とかになった。
まあ、この学校だとこの順位でも東大合格には足りないし、また、この時期はみんな勉強していないので勉強して追い抜くのは簡単だったりするのだが。


そのころ、東大志望について、担任の先生と親に相談したら、意外と受験を許可してくれた。親によると、努力をして、今はまだ足りないながらもそれなりに成果を出してるから良い、ということだった。しかも、二浪までなら許すと言ってくれた。
寛容な親には今も感謝している。


当時、地方公立ゆえに東大受験について右も左もわからなかった俺は、
和田秀樹の『新受験技法』という神バイブルをもとに計画を立て、その調子で五月くらいまでイケイケで勉強していた。
この本がなければ今の俺は存在しないだろう。
地方東大受験生は是非読むべし。

ところがどっこい、部活の引退試合とそれに向けての練習や、学園祭の準備とかぶるあたりでいそがしくなり、勉強計画が崩れだす。
勉強計画が崩れだすと、取り戻すことのできない遅れを取り戻すとして失敗し、勉強効率が下がる。


そんなこんなで3〜4月期の勉強効率を取り戻せないまま、夏を迎え東大模試を迎えるも、
初めてのD判定をだして(喜びで)大騒ぎしたり、お高くとまっていた某予備校東大コースに所属していたやつを東大模試の点数において打ち破ったりして、調子に乗っていた。

秋もそれなりには勉強していたものの、勉強効率は下がり、
冬には、当時始まったばかりの「星のドラゴンクエスト」に全力でどハマりしてあまり勉強しなくなった。

センターは730点で、まあギリ文3の足切りを通過した。
今思うと、この点数だとその後三年間文3の足切りを通過できないし、そもそもこれじゃ足切り通っても東大受からない確率が高いのでヒヤヒヤするところだと思うが、俺は当時呑気だった。
浪人を見越し、私立は受けず、東大専願であった。


東大二次を迎えた俺は、当然のように不合格を喰らった。

最低点まで30点差とかでCランクだったかな?

国語60代
数学30代
日本史40代
世界史30代
英語50代

とかだったように思う。

あまり正確には覚えてないから整合性取れてなかったらごめん。


ゴミだった数学で何故か閃いて1完したのと、試験前日パラパラ読んだ『考える日本史論述』に乗ってた問題の類題が本番の日本史になんと2問(!?)も出て日本史がインフレしているが、
ここらへんは本来の実力ではないので、たぶん本当はもっとゴミ実力だと思う。



夏の東大模試で俺が勝利した、「お高くとまっていた某予備校東大コースに所属していたやつ」は、普通に現役合格していた。

俺は夏D判定だったので、彼女はたぶん夏にE判定かD判定だったんじゃないかと思うが、現役合格できているので、
同じような状況の現役生は頑張って欲しいし、
あんなしょーもないことで喜んでいた馬鹿な現役時代の俺のようにはならないで欲しい。




につづく。